泉由良『オオカミ』

 

 ぐぐるううがあと威嚇した。握り締めた右手の甲で力強く口許を拭うと、まだ生温かい血が付着する。彼女はそんな黒いオオカミを見ていた。

 夜のなか、あたしとオオカミ、ふたりきり。また夜だねえ。彼女は呟き、オオカミの腹にあたまを預けて薄目になる。オオカミはまた威嚇して彼女の頬を喰い千切った。破れた彼女の頬から、今夜の夢があふれ落ちた。駄目よ獏じゃなきゃあ……彼女は寝言を洩らす。夢には共食いの性質があるので、夢どうし傷付け合い、抉り合い、喰い合った。そんな落ちてもがいている夢を、オオカミがまとめて喰い散らかす。

 ちょっとぉ、あたしに返り血飛ばさないでよ。

 彼女は起き上がった。だいいち揺れるし。眠れないじゃない。彼女は自分が戯言を云っていることに気付く。もうずっと前から夜であったし、もうずっと前から、夜は眠るための時間ではなかった。

 彼女はオオカミの腹をよしよしと云いながら撫でてやる。

 そっちの赤セロファンの夢はねえ、セルロイドの金魚が欲しかったときに出来たのよ。ご覧。旨いでしょう。そっちのどす黒いのはね、今思えばどうでもいい気持ちを抱いてしまって、あいつを殺す悪夢に何度も悲鳴を上げた名残りよ。あんたそんなの食べて大丈夫? 大丈夫ならいいのよ……。獏じゃないくせにねえ、夢を食べるのねえ。

 夢を喰い終わったオオカミはその腹を撫でている彼女の左手を噛み千切る。鮮血が飛び散る。静脈と動脈の切れ端がぶらんと垂れ下がる。彼女の躰から血が抜けてゆく。血が抜けてゆく。血が抜けてゆく。真っ青になったかおで彼女は笑みを浮かべ目を閉じる。朝の夢がみられるかも知れない。最期の力を振り絞って、すべてにウォッカを降り注ぐ。消毒のためである。 

 

  了