あわなみりょうさく『天使が落ちてきたところ』

「じい、あのお星が見ゆる?」

「えぇ、じいのしわしわの目にも、あのお星だけはきらりきらりと見えまするよ」

 王子さまは口もとに力を入れ、とうの昔に忘れてしまった笑顔を作ろうとしました。でも、どうしたものか、笑顔とはどういうものだったのか、とんとわかりません。王子さまはあきらめて、白い雲にとすんと座り込みました。

「王子さま、お食事にしましょうか」

「うん」

 じいは横にしゃがんでひとつまみ、白い雲の中でももっともっと白い雲をつまみ取って王子さまに渡しました。王子さまはこくんとうなずき、小さな口に運びます。

「おいしい」

 じいも雲を口に運びます。

「そうでございますね」

 こんなときならすてきな笑顔になれそうだと思ったのに、ほほは悲しくぱりんと張っていました。

 王子さまとじいは、ずっと昔、宇宙船おふねで旅をしていました。あるとき、外にきれいな花を見つけた王子さまは、一人で外に出てしまいました。宇宙船おふねはとてもすばやく飛んでいましたから、じいはびっくりして王子さまを追い、飛び下りました。じいがようやく王子さまの手を取ったとき、宇宙船おふねはもう、はるか彼方に消え去っていました。

「だいじょうぶだよ、じい」

 王子さまはそう言うと、背中の小さな羽をぱたぱたとふるわせ、暗い宇宙おそらに飛び立ちました。両手に美しいもも色の花をつつんで。

 じいは王子さまを追って飛びます。おふねの方に向かおうと、お星のすきまを抜けたときです。王子さまは宇宙おそらをすべって、小さなお星へと落ちていってしまいました。

 ずんずんずんずん、じいと王子さまは落ちてゆきました。

 ああ、もう王子さまは命を落とされてしまうかもしれない。わたしのせきにんだ、わたしが王子さまを連れて帰れなかったからだ。そう、じいが思ったとき、二人の体はまっ白でふわふわの雲に乗っかって止まりました。とても怖ろしいいきおいで落ちたのに、そんなことは思い出せないくらい、やわらかですてきな雲が二人を受け止めたのでした。

 その小さなお星は夜でしたけれど、まん丸いお月さまが雲をまっ白に照らしだしていました。

 王子さまは雲からお顔を出して地上を見ます。そこはきらりきらりとすてきなお星の河のように、光をはなっていました。

「あそこに行ってみよう」

 王子さまが言いました。二人が雲の上をぷかぷかと歩いて行きますと、やがて雲よりもまっ白い雪のつもったお山の頂上に出ました。じいは用心しながら、お山のみねを歩いて下ります。雲を三つほど抜けると、王子さまが言いました。

「じい、ひどいにおいがする」

「ええ、ほんとうに」

 二人はもう少しだけみねを下りましたが、においはひどくなるばかりです。とうとう二人はあきらめて、引きかえしました。どんどん登ると、においはおさまりました。光のことがちょっと気になりましたけれど、二人は雲の上に住むと決めました。雲はとってもおいしかったし、何よりも王子さまの生まれたお星がよく見えたからです。

 やがて、じいは年老いて死んでしまいました。王子さまはなきがらをまっ白い雲につつみ、いつかお星の仲間が来たときに連れて行けるよう、大事に大事にしていました。

 でも、いくら待ってもお星の仲間は来ません。いつしか王子さまはとしを取るのをやめることにしました。いくら待っても来なくても、もっともっと待ってやるんだ。そう思ったのです。

 王子さまは一人、雲の上でくらし続けました。そしてときおり雲の下を見て、宇宙おそらを見て、ため息をつきました。

 そうして、何百年、いいえ、何千年もすぎました。

 天使の伝説は、こうして生まれたのです。本当ですよ。