白取よしひと「遠野の原に提灯漂う」

 空の星は皆落ちてしまったのか。遙か見渡しても村を囲む山々の稜線りょうせんも見えない。あの晩はそんな黒漆くろうるしを垂らした夜だった。

 細くまっすぐと伸びた畦道あぜみちは行く手の暗闇で没し、どこまで続いているのか見当もつかない。僕はその薄気味悪い畦道を提灯ちょうちんの灯りひとつ頼りに久爺と一緒に歩いていた。提灯は心細い。足下だけはしっかりと照らしてくれるけれども、ほんの数間先は全く見えない。

 僕はその心細さから心底後悔した。夕刻まで清二君と遊んでいたが、清二君は僕の屋敷にずぐり(こま)を忘れていった。どうしてもすぐに届けたいと僕が駄々をこねたものだから、家の仕事をしている久爺が付いてくれたのだ。

 

 夏の盛りは過ぎ去り、時折山降やまおろしの風が落ちてくる。僕はその時折浸みる冷ややかな風を避けようと浴衣ゆかたの上に一枚羽織はおっていた。それでも未だ鳴き足りないのかあぜくさむらからは名残なごりしむ虫の音が聞こえる。

「ほうら。あれを見らせい。あれは一本松の貞吉の家だぁ」

 久爺が左手をかざす先を眺めると遠くにかすかな米粒の明かりが揺れている。

「政君や菊ちゃんの家は?」

 すると久爺は笑った。その声に仰天したのか虫たちは鳴き声をしばめる。

「村ではのう。夜が早いすけな。坊ちゃんのお屋敷みたいに油もねぇがらな」

  ふん、そうなのかと僕は提灯で照らされた地べたと自分の草履に目を落とした。

「そんでも、雪っこ降ればどごでも火っこ焚くがらな」

  久爺は頷く僕の小さな頭をガサガサした手で撫でてくれた。

 

「こんただ夜は外さ出るもんでねえ」

  見上げる僕に気付かないのか久爺は目を細め闇を透かす様に見ていた。

「こんただ月も出ねぇ晩に歩きまわるのは人にしても獣にしても剣呑な連中だ」

 いつしか虫は鳴き止み、草履を擦る音だけがザシ、ザシっと耳に入る。この重い静寂は辺りを包む闇とひとつになって僕の心にのしかかる。

 

 突然、爺は足をめた。亀の様に首を前に伸ばしはるか先の闇を凝視ぎょうしする。僕はそれにつられてそちらを見る。提灯だろうか、ほのかなあかりは小さく揺れながらこちらに向かって来る。爺は小首をかしげた。

 

- はて、この界隈で提灯持ちは秋元の旦那様か寺だけの筈。

 

「坊ちゃん」そう言うと爺は僕を抱えてくさむらに降ろした。

「わしが迎えに来るまでここさ石になって隠れでろ」

 そう残すと一人先に歩いて行ってしまった。暗くなった草間から爺の提灯を眺めた。そして二つの提灯が出会うとその明かりはふっとひとつになった。僕は怖くなり震えながらひざを抱く。あたりが微かに明るくなり畦に提灯が近づいた様だ。そして真上に来るとその灯りは止まる。爺なら声を掛けてくれる筈だ。それどころか不思議な事にここに来るまで草履の音すらしなかった。僕は泣きたくなるのを我慢しながら言いつけ通りに石になった。

 

 僕はその日泣きながら屋敷に戻った。父をはじめ屋敷の若い衆総出で久爺を探したが久爺は二度と戻らなかった。

 

 この屋敷に来るのは久しぶりだ。代々受け継いだ屋敷だが父が盛岡で事業を始めたので、初等科の途中から僕も家族とともに盛岡に移り住んだ。それ以来てないのだから、もう十数年来ていない事になる。一族が移り住んでからは管理をお手伝いに任せていた。

 田舎いなか通夜つやとはこんなものか。父が亡くなったと聞くと村衆総出と思われる程人が集まった。三部屋つなぎのふすまを取り払い、しつらえた部屋に入れるだけの人を収めた。はいれぬ者は焼香しょうこうだけでもと外で待つ。僕たちが親族側に座ると読経どきょうが始まった。

 読経を聞きながら集まった人をながめるとそのほとんどが老人だ。しかし一人だけその場に似つかわしくない少女が座っている。

 

- どこの子だろうか?

 

 目が合うと彼女は口角を上げた。確かにあの子は笑ったのだ。

 読経が終わり、お決まりの振る舞い酒が配られると父や代々の当主に関する話に花が咲く。僕はしびれた足を伸ばし立ち上がると、丁度ちょうど先程の少女が玄関に向けて立ち去るところだった。

 

 一人で外に出た少女に追いすがりどこの子なのか問い掛けた。

「加藤の。清二のもんだで」

 清二君の! だが待て清二君は確か農業に見切りを付け上京したと聞いていたが、里に戻っていたのか。

「一人で帰るの?」

 少女は黙って頷く。僕は少し待ってと言い付け玄関から懐中電灯を持ってきた。 彼女の足下を照らし二人歩く。今夜も星が出ていない。あの日もこんな夜だったと想い出していると、彼女は勝手に畦道に入って行く。

「ここは暗いよ。あっちを歩けば電灯もあるのに」

「近道だすけ」

 この畦道はまさにあの畦道だった。こうして手元の灯りを頼りに歩いていたのだ。歩く程に闇は深くなる。懐中電灯の灯りはその光の甲斐なく闇に滲みそして溶けていった。

 

「怖がったか」

 

- ん?

 

「爺さま食われたどき怖がったか?」

 

- 何を言ってるんだ。僕は悪寒が走り顔面から血が引けた。

 

「主いたのわがってたよ。ただあの晩は一人で十分だっただけだすけ」

 

 僕は思わず彼女の顔を照らした。笑った口は耳まで裂け上がり、伸びた犬歯が懐中電灯の光に眩しく光った。

 

 真っ暗闇のどこまでも続く田んぼの中でぽつんと懐中電灯が光っている。そしてやがてその光の点は力尽き漆黒の世界となる。 秋元の家は跡継ぎが絶えやがてその屋敷も無くなるだろう。遠野の原にまたひとつの伝承を残して。