白取よしひと「飾り紐」

 お江戸柳原小伝馬町とやぁ西に天下の日本橋、東を見りゃおかみ肝いりの両国橋、その上増上寺ぞうじょうじをおつむに乗せた景気のいい土地柄だ。あっしも商人の端くれ。随分といい思いさせてもらってやすよ。ここ薬種やくしゅ問屋どんや橘屋はお堅い商いをするってんで評判がいい。さて女子衆おなごしゅうに声を掛けてと。

 

-  ん? 剣呑な話ですかい。

 

「で、どうだったんだよお嬢さんは」

 

-  女の吐息だ。

 

「どうもこうもないよ。今朝からまた鏡に向かって紅さしてさ。わたしゃもう不憫で」

「不憫なのは旦那様さ。男一人で育てた一粒種の器量よしだ。帳場ちょうばでため息なんかつかれた暁にゃこっちも滅入っちまう」

「だいたいその吉助って男はどこ行っちまったんだい!」

「おい! お前ぇ声がでけえぞ」

 

-  お美代さんの事らしいや。こいつぁ今日はご遠慮した方がよろしいようで。

 

 紅をさし髪き整えるも憎らしい。こうしてお前さんに会えず幾日過ぎたことか。お天道様が昇る度、暮れの鐘が鳴る度、落とした涙は尽きて枯れちまった。見ておくれ。あんたの好きな小紋こもんだよ。身を整えて待つは女の意地ってかい。早って帰って来ておくれ。

 お美代はふらり巾着きんちゃくひとつで町に出た。往来ははしゃぐ小僧や荷車が土埃をき上げ行き交い慌ただしい。その中お美代は呆けた様に辻を歩いて行く。どうしてなんだろうね。あんたといた時は私が世の中で一等いっとう幸せもんだと思っていた。それがどうだい。袖りすれ違う人を見るとみんな楽しそうに見えるよ。

 

 小伝馬町は鬼子母神の境内けいだいで行商人が店開き。敷き布を広げ色とりどりの飾り紐を並べている。周りには既に年頃の娘たちが集っていた。

「涼風舞って秋の日よりもいいこって。角打ち平打ち丸打ちと、色とりどりの飾り紐。縁の結びは固結び。そこの姉さん買ってきな」

 男がはやすと娘たちはさざ波の如く笑う。

「うちの紐は正真正銘伊賀ものだ。今日のお客さんは運がいいや。おたなの半値で持ってきやがれ」

 娘たちは各々手にとって紐を物色した。そっちの紐はめっぽう丈夫な真田紐と案内した折り、店前をお美代が通りかかった。

「橘屋のお美代さん。どうだい見て行かねぇかい」

 呆けていたお美代は何とはなしにその声に引き寄せられた。橘屋と聞いて周りの者は場所を譲る。

「お美代さん。その巾着紐随分と上物じょうものだね」

 紐の事を言われてお美代の頬がほころんだ。これは贈り物なのだと云う。

 

- こりゃかなり重傷だぁ。

 

 辻が何やら騒がしく、男がふと境内から様子を見ると人々が何やら小走りでどこかに向かっている。かすかに戸板と云う言葉が耳に入った。

 目を戻すとお美代はすでに店先から離れており、娘たちも往来が気になる様だ。

「さ! 姉さん方今日は店仕舞いだ。また来るよ」

 

 汐見橋しおみばしに出来た人集りを行商の男は割って入り流れる川面を目で追った。一枚の戸板が流され堀の両側を役人の手下が長い棒を持ち見守りながら川下に歩いて行く。

 

-  戸板流しってのは辛いねぇ。好きだ惚れたもこの世限り。仏になっちゃおしまいだ。

 

 不義密通を犯した者には極刑が課せられる。ゆらり流れる戸板には長い髪がばらけた壮年の女がくくられていた。その首元には京と書かれた木札が付けられている。戸板が流れを外れて脇に寄り出した。役人はそれを棒で流れの中心へ押し戻す。その拍子に戸板が返り裏へ括られていた若い男が川面に浮かぶ。野次馬たちはそれぞれに悲鳴か嬌声ともつかない声を上げた。戸板の男は鯔背いなせっていたのだろうか。無残に崩れた髪は目の辺りまで顔を覆っている。木板には吉助と書かれていた。

 

-  吉助!

 

 肩越しに誰かが云った。

「ご新造さんをたらんだらしいや」

 

-  お嬢さん。これで良かったんだ。悪い紐はこれで切れやしたぜ。

 

 戸板は流れて汐見橋から大きく離れ千鳥橋ちどりばしに差し掛かろうとしている。辻から堀端ほりばたに出たお美代は巾着をだだらにげ虚ろに歩く。道行く人々が指差し騒いでも全く耳に入らない。かたわらに良き人のむくろが流れていても一向に気付かず人々の喧噪の中、良き人の姿に焦がれたまま草履を引き摺った。

 

   君待つと 固く結びし 飾り紐 

   別れも知らじ 秋の堀端

 

 小伝馬町の秋はけゆく。これからからかぜが吹こうとも、お美代に春は来るに違いない。