川瀬薫「正月は、特別な日」

 正月は晶子にとって特別な時間であった。新潟県の上越市には、呆れるほどの雪が降り続ける。晶子が窓の外を見つめると、目に痛い程、一月の朝の光に照らされた雪が降り積もっているのであった。「爺ちゃん」と、晶子は祖父を呼び、正月番組に放映される、色めかした芸能人の絵を真似て描いて、祖父に見せていた。「あきちゃんは、絵のずくがあっていい塩梅だの」絵を見せる度に、祖父はタイガーバームの匂いのする手を出して、晶子の頭を撫でてくれるのであった。祖父は学童疎開で戦争に負けたことを経験している。普段は陽気な祖父も、祖母が度々、アメリカが、と口にしたり、米飯よりパン食を好むと、晶子の目に見えて不機嫌な様子に変わるのであった。祖母は大人しい人で、ハイカラ好みであった。大正時代に、女学校に進学したかったが、女性優位の時代ではなかったため、諦めざるを得なかったらしい。読書好きの、美しい女性であった。

 「爺ちゃん、雪が降ってる。雪達磨か、雪合戦をしよう」晶子が祖父にそう言う。「そんつらもん、お友達としなさい」晶子の祖父の昭三は、口では断りながらも、重い腰を上げ、結局は、雪遊びに付き合ってくれるのであった。

 晶子が成人した日に、祖父からは祝いの言葉はかけられなかった。晶子は大人になり、新潟を離れて東京にやってきた。また、懐かしい祖父の正月がやって来る。晶子は成人の日にそう急に思った。大人になった晶子は、ロック音楽に夢中だという、男と東京で同棲するようになった。晶子は、三人組のロックバンドでドラムを担当していた。新潟は雪が多い、祖父が生まれたのは城下町で、あの作家のアンゴも新潟県の出身なんだ……。晶子はボーイフレンドの正幸にそう話すと、「また家族の話か。そんなに家族が大事な女なんだな。晶子は」と苛立ち、言われるのであった。

 成人の日が終わり、成人式にも出席せずに晶子は、東京のライブハウスを後にし、歩いていた。ドラムを叩き過ぎて、指の豆が潰れて血が出てしまった。メジャーデビューの見込みはない。晶子はそう、業界の仲間内で噂されていた。

 東京にも、珍しく雪が降った日であった。氷に近い積もった雪を踏みしめて歩くと、晶子は故郷の新潟の祖父と祖母の顔を思い出すのであった。「あきちゃんは、ずくがあるからいい塩梅だ」祖父の顔が、夜のライブハウス帰りの街並みの中でまた浮かんだ。晶子は、絆創膏の巻いてある指で、硬い雪を掴んでみた。「そんつらもん、私にずくなんか……」晶子は夜の東京で、溢れる涙をこぼした。雪はとても硬く、投げてみても何処にも届かなかった。

〈了〉