根木珠「大蛇」

わしは大蛇に食われていた。 今はその真っ最中である。 痛い、痛いと言っても大蛇には通じない。 なんとか抜けだそうともがくが、もがけばもがくほど歯に引っかかる。 さて、蛇に歯などあったろうか。そんなことをわしは思いながら、じたばたしている。 すると、どこからか妻がやってきて、あなた夕飯よと言う。 わしは、それどころじゃないだろうと怒鳴りつけるが、あなた、夕飯よ、と妻は繰り返すばかりである。しかたがないからほうっておいたら倅(せがれ)が来て、なにをやっているんですか父さん、と言う。いや、なにをしてるもなにも見ての通りだ。そう言うと倅はわしの両手を掴んで引っ張り始めた。 あッ、いたッ。おいおい無理をしたらいかん。いたたた。 ずるり、と体が抜けた。大蛇のよだれにまみれたわしを、汚いものでも見るかのように(実際、汚いのだが)、倅は見下ろす。あれは、とわしは倅に尋ねた。妻の姿が見当たらないのだ。あれはどこへ行った。倅は、さあ、とだけ言い捨て、それより父さん聞いてくださいと言う。なんだ。わしはべとべとの体のままあぐらをかく。倅は続ける。困ったことになりました。家に入れるはずだった金が盗られました。わしは、なに? と聞き返す。いえね、このあいだ源さんが……、あ、源さんというのは下宿先の旦那さんで……。わしも知っとる、へんに背中のまるまったじいさんだろ。ええ。倅はこくりと頷く。なんでも金に困っているらしく、家賃を前払いしてくれと言われまして、渡したのです。何ヶ月か経ちましたところ、じいさん、いなくなってしまって。死んだのか。いえ死んではないと……おそらく徘徊でしょう。ぼけていたのか。きっとそうです。それでじいさんのことが心配で。少し、あたりを探しに行くことにしたんです。うん。だいぶ歩きまして、さんざん探したんですけれどいない。諦めて下宿に戻ると、そこには蛇がおりました。 ん? なに? 蛇です。 あ、うん……。それで? 食われました。 なにを? 金です。 ええ……そうなんだ……。 なるほど食われたのならしかたがない。倅は、だから金の無心に来たということだな。しかし家計は妻にまかせている。わしではわからん、あれに頼め。はあ、そうしたかったのですが、と倅はいよいよ困った顔をする。 食われました。 え、なにが。 母さんです。 蛇にか。 蛇にです。 そうか……。 食われたか……そういうこともあるものだ。しかたあるまい。 金は盗られた(というより食われた)。妻もいない(というか食われた)。倅は困り果ててわしのところへ来たが、わしも食われかけていた、というわけだ。 しかし倅よ。わしは静かに言う。 残念ながらわしは死んでおる。 おぬしも死んでおる。だから金は不要だ。 倅が、え、と驚く。 考えてもみろ。こんなでかい蛇がいるか。ここは死後の世界だ。 そうでしたか……僕は死んでいましたか……。 悄然と立ち尽くす倅であった。 死んでもなお金のことが頭から離れない倅は、まさに金の亡者になったということか。 わしは倅の背中を、ぽんと叩いた。  

(了)