浅黄幻影「小さなオレンジ」

 通りに席を並べて店を出すカフェに私は座っていた。昼下がりのむっとする暑さが街中に漂っていて、私はハンカチで顔を何度となく拭い、髭の形を気にして、そして紅茶をすすっていた。タバコに火をつけるのもよかったかもしれないが、なんという失態か、家に忘れてきてしまっていた。

 あのタバコでなければいけないのだ! そして、あれに火をつけて周囲を眺めればそれだけで時間はいくらでも潰せるというのに。カフェで飲み物にばかり手を着けて、何敗も飲む気はなかった。そんなわけで私はこの暑さとの戦いをどうすべきか考えていた。

 そこでふと、近くの果物屋を見た。そこには、まだ青年とは呼べない年頃の若い学生が、手のひらサイズのオレンジを一袋買うのを、私は見ていた。そして学生は見ている前で紙袋からひとつ出し、オレンジをいくらか果汁を吹き上げながらかじった。

 私はあっと思った。彼の爽やかな笑顔にちょうど建物の隙間から太陽の光が降り注ぎ、オレンジの汁も光って見えた。彼の口に広がっているであろうオレンジの果皮と果肉とのちょっと苦く、頬を刺激する酸っぱさが私のなかにも走った。

 学生は店員の若い女性に笑顔で何か語りかけ、店員もまた笑って返事をした。そして学生は去っていった。

 なんと美しい光景だったろう。私はこれだと思い、すぐにカフェを出て果物屋に向かった。そして店員に、さっきの学生の買ったオレンジをくれと言った。

「オレンジ……こちらですか、ありがとうございます」

 私はそれを紙袋に半分ほど買った。店の前では恥ずかしかったし、何より学生のまねをしているようで気まずかったので、少し離れた場所、もちろん日当たりのよいところでひとつ、かじってみた。

 これが思いの外、苦かった! そしてその後に酸っぱさも襲ってきた。果皮の苦さも果肉の酸味も想像とは比べものにならなかった。

 私は紙袋いっぱいではなくとも、手が着けられそうにない量を買ってしまったことを後悔してしまったが、同時に学生はいったいなぜあんなことを笑顔でできたのだろうと考えた。

 再び果物屋に戻ってきた私は、店員にもっと甘いものと交換してくれないかと言った。彼女はやっぱりという顔でいいですよ、と答えた。

 私は彼女にぼやいた。

「まったくさっきの若者は、よくこんなオレンジを丸かじりできたものだ。苦くて酸っぱいし」

 彼女は申し訳なさそうに答えた。

「このオレンジはそういうものなんですよ。もちろんそんなに数も出ません。入荷ミスなんです。私が受け取りを間違えてしまって。返品も効かないし……。でも、少しでも売れないと私、首なんです。だから彼も協力してくれているんです。

 ──ほほう」

 私は返品をやめて、さっきの袋をまた手にした。しばらく苦くて酸っぱい二人の思いを感じるのも悪くはない。

 私は斜めになった日の下を、暑さも感じることなく青春の味を感じて帰っていった。